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#6 誹謗中傷をする人は、おしなべて暇人が多い

 



 

 

 

 

 

 

 

はじめに

 

 

源氏物語」で「あはれの文学」を体現した、平安時代の女性作家・紫式部は、自身の日記『紫式部日記』で、同時代を生きたライバル・清少納言を力強くこき下ろした。

 

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。」

 

現代語訳)

清少納言とかいう小娘、得意顔で利口ぶって漢字を書き散らしてるけど、よう見たら未熟なところが多いわ。人より優れたところを見せようと振る舞う人に良き未来など待っておりませんわ。風流ぶるような人は、つまらないときであっても、しみじみとそれっぽく振る舞い、結局はなんの中身もない有り様になるのがオチよ。こんな人たちの行末がいいわけありませんわ。

 

 

気に入らない者をディスる文化、そしてそれを何らかの形で書き記して残しておくという行為は、1000年前の世にすでに存在しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、本題に入ります。

 

ネットでの誹謗中傷が話題になっています。

 

 

「ドラマ『3年A組』のメッセージが見直される」みたいなネットニュースも出ましたが、正直、実際に誹謗中傷を何かにつけて書き込んでいる人に、ドラマ一本みせたところで改善が見込めるとは個人的には思えません。

 

いやっ、「3年A組」を批判しているわけではありません。本当に素晴らしいドラマだと思います。リアルタイムでみていましたし、その後Huluでも3周はしました。多大なメッセージ性と影響力を秘めた作品であることは理解しているつもりです。

 

 

ネガティブなスパイラル

 

斜に構える自分に酔って、物事の全体像を見失うな。

 

しかし、そのような人たちというのは、物事をネガティブに捉える能力に長けた人たちがほとんどです。発せられるメッセージを真っすぐに受容し、我が身に充てて思考を巡らす、という行為を苦手としています。少しズレるかもしれませんが、「斜に構えている」のかもしれません。

 

斜に構える…もともと「剣術で相手に対して刀を下げて斜めに身構えること」から「改まった態度をとる」「おつに気取る・身構える」「物事に正面から対処しないで、皮肉な態度で臨む」こと

 

偉そうにこの駄文を書き連ねている私も、何かにつけて「斜に構える」人間でした。正確にいうと、「斜に構えることがかっこいい」と思ったり、「物事に独特な態度で臨む自分に酔っていた」りしていたんだと思います。痛々しいこと極まりないです。

 

一度 斜に構えることを覚えてしまうと、だんだんと得意になって、何か問題や揉め事が起こっているのを見ると、すぐに自分のご自慢の感性で捌きたくてしょうがなくなっていきます。

 

 

以前何かの番組でオードリーの若林正恭も言っていましたが、「一度 物事をネガティブにしか捉えられないクセがついてしまうと、何でもかんでも悪いように見えてきちゃい」ます。

 

 

かといって、(手のひらを返すようですが、) 「斜に構える」ことが必ずしも悪いことであるとは思いません。独特な視点からの考え・指摘は、時に芯を食った批判になり得ますし、クスっと笑えるジョーク(お笑い)にもなります。

 

ネガティブにしか捉えられず、頭ごなしに否定して押し通したり、色のついた眼鏡でしか物事を見られなくなってしまったりした結果、対象の本質や全体像が見えていない状態が危険だと言いたいのです。

 

 

極端な例をとります。

今、このブログをあなたのように読んでいる人がいたとして、その人がこう思ったとします。

「なんだ、このブログは。書き出しイキってるし、偉そうに自論ばかり連ねやがって。クソ童貞陰キャかよ。」

 

この人は、「自論を書く場になりうる」というブログの本質を見失っています。

 

 

これはとても危険な状態です。

 

 

誹謗中傷に時間を割けるという余裕

 

誹謗中傷を頻繁に書き込む人は、そのターゲットの言動や行動にアンテナを張っていることが多いです。

「アンチがいちばんのファン」という皮肉もあるように、否定するための材料を集め、誹謗中傷の文章をしたためるだけのために、その人たちは「嫌いなものに」時間を割くことができます。

 

誹謗中傷を書くためだけにSNSをやっている人もいるのかもしれませんが、そういうのを除けば、頻繁に誹謗中傷を書くような人たちは時間的に余裕のある人、いわゆる暇人が多いのだと思います。

 

では、どうしようもない暇を持て余した人たちに、好き放題やらせておけばいいのでしょうか?

そういう人たちに仕事を与えて暇を無くせば、誹謗中傷は社会からなくなるのでしょうか?

 

 

彼らを「誹謗中傷グセ」「否定グセ」から脱却させるためには、もっと彼らの心理状況の実態に迫る必要があります。

 

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否定から入る人は実は不安を制御できてない-フラジャイル・ナルシシズム

 

少し話は変わりますが、人から嫌われやすい人の言動面、性格面の特徴ってどのような感じでしょうか?

 

空気を読めない人?

声の大きさの調節ができない人?

短気な人?せっかちな人?

隙あらば自分語りをする人?

自分の意見を押し通す人?

逆に何でもかんでも肯定するイエスマン

必ず「いや、」と否定から入る人?

 

私の場合は、否定的なコミュニケーション(=話題が常に「~じゃない」といった否定形)しかできない人とは一緒に話していて「楽しくないな~」と感じることがあります。

 

 

心理学の用語で「フラジャイル・ナルシシズム」という言葉があります。

 

これは、簡単に言うと、「マウントとりたいから、とりあえず否定して何か言わなきゃ!」と思ってしまう心理状態です。

 

必ず否定から入ってしまう人は、相手より上の立場に立とうとして、実際は不安で自信が持てないのに、強気な姿勢で自分が自信に満ちているように見せかける人が多いです。そしてそのような人は、頭ごなしに・過剰に相手を否定して従わせようとします。これが、「フラジャイル・ナルシシズム」である人の実態なのです。

 

この「フラジャイル・ナルシシズム」が、前述した ネット上の心ない誹謗中傷に繋がる、というのは少しこじつけかもしれませんが、心理的な状態としては類似していると思います。

 

 

問題は、このことを当人が認識できているかどうかということです。認識ができていれば、それは改善に繋がります。

 

 

必ず否定から入ってしまう人が、物事をポジティブに捉え、肯定できるようになるためには、どのような努力が必要なのでしょうか?

 

 

こちらのサイトにそのヒントがありました。

(参考)心理学者・内藤 誼人氏

必ず否定から入る人は自信がなくて不安症 「自分のほうが上」という心理 (2/2) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 

サイトに書いてあることをまとめると

・スモールステップとなる「ルール」を設けたうえで着実にコミュニケーションを改善していく

・否定的な言葉が出そうになったときは、すぐに答えず、時間をおく(タイムアウト

 

ことが重要だとされています。

 

 

実際、タイムアウトは私もよく実践しています。時間を置くことで、偏った考えから脱却でき、否定的な言葉を書かずに済みます。

 

 

このように、誹謗中傷を書き込んでしまう人の心理にスポットを当てることが、この問題を考えるうえで重要なのだと思います。

 

 

 

さいごに

 

誹謗中傷の問題の解決を探るあくまで一つのカギとして、フラジャイル・ナルシシズムの認識をピックアップしました。

 

 

使い古されたおしえですが、言葉は人を救い、癒す一方で、とんでもない凶器にもなりえます。

誹謗中傷を書き込む人を、途中でつい「彼ら」と表現してしまいましたが、ブログを書いている私だって、あなただってその「彼ら」になる可能性は十分にあります。

 

結局、3年A組と同じようなメッセージ性に帰着してしまいました。ここまで影響を受けているのは、たぶん4周もみちゃったからだと思います。

 

 

 

心ない言葉のナイフをなくそう!!とやみくもに立ち上がるというよりも、ナイフを振りかざす人の心理に寄り添ったアプローチが必要とされてくるのでしょう。